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18.再会

 うっとおしい梅雨の季節になった。

 美濃の合戦の後、生駒八右衛門を通して、蜂須賀小六に上総介の家臣にならないかとの声が掛かった。しかし、小六は、「まだまだ、縛られたくはねえからの」と言って、いい返事はしなかった。

 小六はうなづかなかったが、弟分の前野小太郎が上総介に仕える事に決まり、清須の城下に移って行った。

 前野家は代々、岩倉の織田伊勢守に仕え、父の小次郎も伊勢守の重臣の一人だった。ところが、伊勢守家で親子の争いが始まり、子の左兵衛(サヒョウエ)が政権を奪うと父親派だった小次郎はさっさと隠退してしまった。小太郎の兄、孫九郎は母親の実家である小坂家を継ぎ、上総介の家臣として春日井の代官になっており、小太郎が前野家の跡を継がなければならなかった。一家の当主になって、いつまでも野武士でいるわけにもいかず、上総介に仕える事になった。

 美濃の負け戦の後、上総介は忙しかった。

 五月の末、上総介の重臣である林佐渡守が弟の美作守(ミマサカノカミ)と那古野城内で、上総介の暗殺をたくらんだ。結果は失敗に終わったが、その事件を引き金として弟の勘十郎は上総介の直轄領を横領し、上総介に叛旗(ハンキ)をひるがえした。林兄弟を初め、柴田権六(ゴンロク、勝家)、平手五郎右衛門、丹羽(ニワ)勘助(氏勝)らが勘十郎の味方をして清須城を窺っていた。

 上総介は見て見ぬ振りをして、再び、城下の再建に力を入れ、七月の盂蘭盆会(ウラボンエ)には盛大な盆踊りを催した。華やかな山車(ダシ)を作らせ、家臣たちに派手な仮装をさせ、自らは天女に扮して清須から津島まで練り歩いた。近在の民衆も喜んで参加し、噂を聞いて、遠くからも見物人が続々と集まって来た。戦に明け暮れる毎日で、すさんでいた人々の心は解放され、いやな事など皆忘れて盆踊りに熱中した。

 敵に囲まれ、窮地に陥っている今、上総介自身がすべてを忘れて踊り狂いたい心境だったのは確かだが、ただ、それだけではなかった。この馬鹿騒ぎを思いついたのは津島の商人たちを味方につけるのが本当の目的だった。

 以前、父親が勝幡(ショバタ)城にいた頃、津島とのつながりは親密だったが、父親が亡くなり、本拠地が清須に移ってからは疎遠になっていた。尾張を平定するには財力のある商人と手を結ばなくては不可能だ、と判断した上総介は津島の商人と手を結ぶために、派手な張行を思い立ったのだった。それは上総介自身が考え出した、上総介独自の奇抜なやり方だった。

 上総介の思惑はうまく行き、津島の商人の心をつかむ事に成功した。そればかりでなく、上総介の名は身近な領主として、民衆たちに親しみを込めて覚えられた。

 藤吉郎も三輪弥助と一緒に見物に出掛け、盆踊りに参加して踊りまくった。前野小太郎も森三左衛門も派手な仮装をして楽しそうに踊っていた。

「小太郎殿、清須は楽しいですか」と藤吉郎が聞くと、

「まあまあじゃ。悪くはねえ」と笑った。

「お前も清須に来いよ」と三左衛門が言った。

「はい、考えておきます」と藤吉郎は答えた。

 盆踊りが済むと、ようやく上総介は勘十郎に対して動き出し、小田井川のほとりの名塚に砦を築き、佐久間大学(盛重)に守らせた。

 八月の半ば、生駒八右衛門を通して、小六のもとに上総介より救援の要請があった。小六はあまり乗り気ではなかった。前野小太郎からの頼みもあって仕方なく承諾した。

 藤吉郎は甲冑(カッチュウ)に身を固め、鉄砲をかつぎ、馬にまたがって小六に従った。上総介を助けるために前日の大雨で増水した小田井川を押し渡り、勘十郎方の大将、柴田権六の軍勢の側面を奇襲した。続いて、林美作守の軍勢を後方から攻め、上総介に勝利をもたらした。敗れた勘十郎は末森城に逃げ込んで籠城したが、母親の嘆願によって許された。

 藤吉郎も戦に慣れ、戦の駆け引きというものもわかりかけていた。自ら先頭になって戦う勇ましい上総介の戦振りも実際に見る事ができ、やはり、自分が仕えるべき武将は上総介をおいて他にはいないと改めて思った。しかし、戦場では上総介に近づく事はできず、私語を交わす事など、とんでもない事だった。

 弥助は姉のともとうまく行っていた。暇さえあれば中村まで飛んで行って、ともと会っていた。ともも喜んで弥助を迎えていたが、弥助が嫁になってくれと言うといい返事はしなかった。弥助の事を嫌いではない。すぐにでも嫁に行きたいが、母と弟たちを残して家を出るわけにはいかない。それに藤吉郎の事も心配だという。

「おめえがしっかりしねえからよ、姉ちゃんは嫁に行けねんだ」と弥助は藤吉郎を責めた。「おめえには野武士は向いてねえ。ちゃんとした侍になりてえんだろ。さっさと上総介の家来になりやがれ。清須なら中村にも近えし、姉ちゃんも安心すらあ。八右衛門殿に頼んだっていいし、小太郎殿だっている。いつか、おめえが話してた針売りの浪人も上総介の家来になってんだろ。誰に頼んだっていい。鉄砲が撃てるんだから鉄砲足軽になれるじゃろう。さっさとここから出て行け」

 藤吉郎もその事は充分に考えていた。鉄砲足軽から鉄砲大将になるという道もある。でも、鉄砲大将では城の主になるのは難しいような気がした。小者(コモノ)でもいいから、もっと身近に仕えた方が出世できるような気がする。上総介に直接会う機会があれば何とかなりそうだが、どうやったらいいのかわからなかった。生駒屋敷に行って上総介がやって来るのを待っていようかとも思ったが、いつ来るかもわからない上総介をぼうっと待っているわけにもいかない。あそこに行けば、吉乃の事を思い出すし、死んだおきた観音の事も思い出してしまうだろう。思い切って清須まで行って待ち伏せしようかとも思ったが、それも危険があった。敵に囲まれている上総介は今、相当、疑り深くなっているという。敵の間者(カンジャ)に間違われて殺される可能性もある。いい考えはないものかと日夜、藤吉郎は考えていた。

 そんな時、小六の屋敷に訪ねて来た侍があった。生駒八右衛門に連れられて来た、その侍は八右衛門と同年配の三十前後で、疲れているのか目をしょぼしょぼさせながら小六のいる母屋に入って行った。

 何者だろう。また、戦が始まるのだろうか、と藤吉郎は庭で馬の世話をしていた。

 しばらくして母屋から弥助が出て来て、「また、美濃で戦だそうじゃ」と鉄砲を撃つ真似をした。

「美濃か、今度は新九郎の味方をするのか」と藤吉郎は聞いた。

「いや、逆じゃ。新九郎の奴が今、明智の城を攻めてるそうじゃ」

「明智の城?」

「道三方の残党じゃな。道三殿の奥方の実家だそうじゃ」

「奥方の実家という事は新九郎の身内じゃねえのか。また、身内同士の戦か」

「いや、新九郎の母親は明智じゃねえ。殺された弟と上総介の奥方の母親だそうじゃ」

「へえ。その明智の味方をするのか」

「八右衛門殿がその話を持って来たが、お頭はキッパリと断ったわ。明智に勝ち目はまったくねえからの」

 八右衛門と侍が母屋から出て来た。侍は空を見上げた後、急に肩を落とし、八右衛門に向かって首を振った。八右衛門も首を振り、二人は馬にまたがり去って行った。

「八右衛門殿と一緒にいたあの男は何者だ」と藤吉郎は二頭の馬を見送りながら弥助に聞いた。

「あいつはな、生駒家と親戚で美濃の土田(ドタ)甚助という奴じゃ。吉乃様が嫁いだ弥平次の兄貴でな、吉乃様が嫁に行く前、何度も生駒屋敷にやって来てたわ」

「吉乃様の義理の兄貴か‥‥‥おい、吉乃様は大丈夫なんだろうな」と藤吉郎は急に弥助の腕をつかんだ。

「吉乃様も弥平次と一緒に明智の長山(オサヤマ)城(可児町)に籠城してるらしい」

「吉乃様が籠城‥‥‥で、敵の数は?」

「三千」

「明智は?」

「五百」

「五百? たったの五百‥‥‥吉乃様は三千の敵が囲んでる城の中にいるのか」

「じゃろうの」

「助ける‥‥‥吉乃様を助け出す」と藤吉郎は真剣な顔をして言った。

「何じゃと? 吉乃様を助けるじゃと? 馬鹿な事言うな。吉乃様はすでに弥平次の嫁さんじゃ」

「そんな事は百も承知だ。その弥平次とやらも一緒に助ければ文句あるまい」

「何を言ってやがる。三千の敵が囲んでる城から、どうやって吉乃様を助け出すんじゃ。そんな事、できるわけがねえ」

「絶対に、俺は吉乃様を助け出す」

 藤吉郎は馬にまたがると生駒屋敷へと向かった。

「まったく、馬鹿な野郎じゃ」と弥助は呆れた顔をして藤吉郎の後ろ姿を見送ったが、急に真顔になると、「畜生め」と藤吉郎の後を追った。

「おーい、待ってくれ。おめえを死なせるわけにはいかねんだ。おめえを見殺しにしたら、姉ちゃんに怒られるわ」

 藤吉郎は馬を止めて弥助が来るのを待ち、「一緒に行ってくれるんだな」と聞いた。

「本気なのか」

「本気だ」

「死ぬかもしれんぞ」

「わかってる‥‥‥弥助殿、もし、姉ちゃんが三千の敵に囲まれた城の中にいるとしたら、どうする」

「助け出すに決まってるだろ」

「俺も同じです」

「おめえは、まったく無茶な奴じゃな」

「無茶苦茶な連中と一緒にいますからね」

「いや。奴らよりおめえの方がもっと無茶苦茶じゃ。姉ちゃんが心配するわけじゃ」

 生駒屋敷に着き、吉乃を助けに行くと言うと八右衛門は驚き、身を乗り出して、「小六殿がそう言ったのか」と聞いて来た。

「いいえ、俺が行きます。弥助殿と二人で」

「二人で?」

 藤吉郎はうなづいた。

「猿、お前が吉乃を思ってくれる気持ちはありがたいが、そいつは無理というもんじゃ」

「わしもそう言ったんですがね、こいつは聞かねえんで」と弥助は手を広げた。

 八右衛門は首を振って、「わしはもう、吉乃の事は諦めたわ」と言った。「潔く、弥平次殿の妻として死んでくれる事を願っている。上総介殿に断られ、小六殿にも断られた。もっとも、今の上総介殿に美濃まで行ってくれというのは無理な話じゃ。小六殿の言い分もわかる。三千の敵に囲まれてる長山城を助ける事などできるもんではない。吉乃には可哀想だが仕方がない」

「八右衛門殿」と土田甚助が口を挟んだ。「吉乃を助ける事ならできるかもしれません」

「なに、本当か」と八右衛門は驚き、藤吉郎も驚いて甚助の顔を見つめた。

 甚助はうなづいた。「敵が攻めて来た時、弥平次は覚悟を決めて長山城に入りましたが、その折り、城下にいた吉乃を土田城(可児町)まで送り届けました。今は土田城にいます」

「土田城は無事なのか」

「いえ、土田城も敵に囲まれています。しかし、抜け道もわかりますし、現にわしはその抜け道を通って尾張に入ったんです。吉乃を助け出す事はできます」

「そうか、できるか‥‥‥すまんの。おぬしたちの力になれんのに妹の事ばかり心配して」

「いえ、運が悪かったんです。尾張の状況も知らないで、上総介殿がすぐに来てくれるものと勘違いしたわしらが迂闊(ウカツ)だったのです。仕方ありません」

「猿、いや、藤吉郎、やってくれるか」と八右衛門が藤吉郎の方を見た。

 藤吉郎は力強くうなづいた。

「わしが案内しましょう」と甚助が言った。

「頼む。わしの方からも何人か出そう」

「土田城の回りも敵だらけですからね。あまり、大人数じゃない方がいいかもしれません。見つかれば生きては戻れませんから」

「うむ、そうじゃな」

 八右衛門は兵法指南役の富樫惣兵衛と森甚之丞(ジンノジョウ)を選んだ。惣兵衛が一緒に行ってくれるのは藤吉郎にとっても心強かった。

 十七歳の甚之丞は一見した所、なよなよした男で、どうしても一緒に行くと言って聞かなかった。兄の勘解由(カゲユ)が吉乃の嫁入りの時、護衛として美濃に行ったまま、今は弥平次と共に長山城に籠もっているらしかった。藤吉郎も弥助もこんな奴を連れて行くのかと不安を感じたが、幼い頃から惣兵衛の弟子として武芸の修行を積んでいて、その腕は惣兵衛が保証してくれた。甚之丞は絶対に兄を助け出すんだと張り切っていた。

 次の日、土田甚助の案内で、藤吉郎、弥助、惣兵衛、甚之丞の四人は土田城へと向かった。藤吉郎も弥助も鉄砲は持たなかった。鉄砲を撃つとその音で敵にばれてしまうので、音のしない弓矢を背負って行った。

 生駒屋敷と土田城の距離はおよそ六里(約二十四キロ)で、充分一日で行ける距離だった。犬山の城下を抜け、尾張と美濃の国境近くまで馬で行き、そこから先は徒歩で山中に入って行った。

「ここから一里程じゃ」と甚助は言った。「この先の峠に敵の見張りが大勢いる。以前、山中には敵はいなかったが、籠城が続いて一月近くになるから敵の包囲も厳重になったかもしれん。気を付けた方がいい」

 甚助の言葉に皆、無言でうなづいた。甚助を先頭にして草むらの中を藤吉郎、弥助、甚之丞、惣兵衛と身を屈めながら続いた。

 山頂近くに敵の見張りが二人いたが、藤吉郎と弥助の弓矢で簡単に片付けた。見張りがいた所から土田城を見下ろす事ができた。

 土田城は独立した山城で、北に木曽川、西に管刈川が流れ、河原には大勢の敵兵が城を囲んでいた。

「すげえなあ」と弥助が言った。

「ほんとに抜け道を通って、あそこに入れるのか」と惣兵衛が不安そうに聞いた。

「近くまで行ってみなければわからんが大丈夫じゃろう」

「敵だらけじゃねえか。あれじゃ、蟻一匹出られやしねえ」と弥助が唸った。

 藤吉郎もそう感じながら城を見下ろしていた。あの中に吉乃がいる。何が何でも助け出してやると弓を握る拳に力を入れた。

「大丈夫じゃ。あの抜け道は城の回りをウロウロしていても絶対に見つからねえ」甚助が自信を持って言い切った。

「抜け道があるのに、どうして、城の中の人たちは逃げないんです」と甚之丞が聞いた。

「誰もが知ってたら抜け道にはならねんだ。知ってるのは親父とわしと弥平次だけじゃ」

「どうして、ああなる前に、みんなを逃がしてやらなかったんです」若い甚之丞は甚助を責めた。

「わしらはな、負けるとは思っていなかったんじゃ。上総介殿が助けに来てくれるものと信じておった。今も城の中の連中は上総介殿が来るものと信じているじゃろう」

「もし、上総介殿が救援に来たら本当に勝てたのですか」

「勝てた。上総介殿が動けば犬山の十郎左衛門殿も動くし、小六殿も動くじゃろう。そうすれば勝てる」

「犬山はどうして助けに来ないんじゃ」と惣兵衛が聞いた。

「皆、自分の身が可愛いのよ。新九郎を敵に回せば、次に狙われるのは犬山じゃからな。上総介が来るのなら、わしも助けようと言いおったわ」

「奴の言いそうな事じゃな」

 一行は山を下り始めた。途中、敵の見張りが数人いたが藤吉郎と弥助が弓矢で倒し、惣兵衛と甚之丞は槍で突き刺した。甚之丞の動きは素早く、弥助はやたらと感心していた。

 足元に気を付けながら険しい岩の中を下りて行くと川に出た。回り中、岩に囲まれた凄い所で、川の水は淀み、かなり深そうだった。上から見た時、河原には敵が大勢いたのに、ここには敵の影は見えなかった。

「ここは下の河原からは来られねんだ。川の中を泳いで来れば別だけどな」と甚助は川下の方を眺めた。

 甚助の言う通り、巨大な岩と岩の中を川がゆっくりと流れ、川に沿って歩く場所などない。川の中に入らなければ、ここには来られないだろう。また、ここに来たとしても、回り中、岩だらけで、どこにも行けない。甚助は何でこんな所に来たのだろうと藤吉郎は不思議に思った。

「冷たくてうまいぞ」と甚助は川の水をすくって飲んだ。皆、甚助にならって水を飲んだ。確かに、冷たくてうまかった。

「わざわざ水を飲むために、こんな所に下りて来たんじゃあるまいの」と惣兵衛が口を拭きながら聞いた。

 甚助はニヤニヤしながら、「ここが城への入り口じゃ」と言って、対岸を眺めた。

 対岸は険しい岩場がずっと続き、この上に城があったとしても、とても登れそうもなかった。

「まさか、あそこをよじ登るのか」と弥助は岩場を見上げた。

「登って登れん事はねえが、あんな所を下りる事はできまい。逆じゃ、登るんじゃなくて潜るんじゃ」

「潜る?」

「そうじゃ。抜け穴がある。そこを抜けるとあの岩の向こう側に出る。みんな、泳げるじゃろうな」

 四人は川の中を覗き込みながら、うなづいた。甚助に従って川の中に飛び込み、息を止めて潜り、川の中の岩壁に開いた穴を抜けると草の中に出た。やはり、ここも回りを岩に囲まれていて、一ケ所だけ通れそうな所があった。もし、そこを下りて来たとしても、ここで行き止まりという所だった。草むらの中にある小さな水溜まりが、岩の向こうの川につながっているとは誰も考えはしないだろう。

「爺様が金(カネ)掘りを使って掘ったそうじゃ」と甚助は濡れた袴を絞りながら言った。

「大したもんじゃ」と惣兵衛は感心し、

「すげえなあ」と藤吉郎は弥助と言い合っていた。

 そこから先は二つの難所があったが、それ程、難しい山道ではなかった。

 山の上に屋敷があった。

「三の丸じゃ」と甚助が言った。「あの中に吉乃はいるはずじゃ。大勢の女たちが一緒にいる。できれば、みんな助け出したいと思っている」

 藤吉郎は甚助の話を最後まで聞かずに身をかがめて三の丸の屋敷に走り寄った。入り口は固く閉まったまま開かなかった。藤吉郎が戸をガタガタさせていると、中から、「ミチ」と言う声がした。合言葉に違いないが、何と答えたらいいのかわからなかった。

「ナミ」と甚助が藤吉郎の後ろから答えた。

「焦るんじゃねえ、落ち着け」と弥助が藤吉郎に背を小突いた。

 入り口の戸が開き、甚助が中に入って行った。屋敷内は薄暗かった。よく見えなかったが、目が慣れるにしたがって見えて来た。

 吉乃はいた。五年振りの再会だった。五年の月日は吉乃をすっかり女にしていた。娘という印象はまったくなく、武家の奥方に成り切っていた。当然の事だった。藤吉郎の頭の中の吉乃は十四歳のままで止まっていても、実際の吉乃は五年間に様々な経験をしたに違いない。藤吉郎は現実の吉乃を見て、戸惑っていたが、その思いは吉乃の笑顔を目にして、一瞬のうちに消えて行った。

 吉乃は甚助と話をしていた。吉乃の笑顔はすぐに消え、心配顔に変わって行った。憂(ウレ)いを含んだその顔は、少しやつれているようだったが、美しさは以前よりずっと増していた。

 藤吉郎は声を掛けるのも忘れ、吉乃の姿に見入っていた。吉乃は俯きながら甚助の話を聞いていた。甚助が本丸の方に出て行くと藤吉郎たちの方を見た。藤吉郎と目が合うと不思議そうな顔をして藤吉郎の方にやって来た。

「藤吉郎なの」と吉乃は懐かしい声で言った。

 藤吉郎はうなづいた。

「どうして、藤吉郎がここに」

 吉乃は首を傾げたまま藤吉郎を見つめていた。

「あの‥‥‥」再会した喜びがどっと込み上げて来て、藤吉郎は言葉を失い、ただ、じっと吉乃を見つめていた。

「藤吉郎はの、吉乃様を助け出すんじゃと言って聞かんのじゃ」と弥助が横から言った。

「帰って来たのね」

「はい」

「駿河はどうだったの」

「ええ、うまく行きませんでした」

「そう‥‥‥こんな所で藤吉郎に会うなんて、夢でも見てるみたい」と吉乃は笑った。

 その笑顔は昔と変わっていなかった。やはり、吉乃は吉乃だった。藤吉郎も笑った。何となく昔の二人に戻ったような気がした。しかし、すぐに現実に戻された。突然、鉄砲の音が響き渡り、敵の喊声が聞こえて来た。

「敵が攻めて来たぞ」と甚助が戻って来た。「藤吉郎殿、女子供を頼む」

「甚助殿は?」と藤吉郎は聞いた。

「長山に行く」

「俺も一緒に行く」と甚之丞が言った。

 甚助は惣兵衛を見た。惣兵衛は甚之丞を見つめ、「無駄死にするなよ」とうなづいた。

 甚之丞もうなづくと甚助と共に出て行った。

 三の丸の屋敷内には三十人近くの女と子供がいた。さらに他所(ヨソ)からも集まって来て五十人近くにもなった。女子供を無事に脱出させるため、甚助より十人の兵が付けられたが、五十人もの女子供を連れて、あの抜け道を行くのは容易な事ではないと先が思いやられた。

 惣兵衛を先頭にして、女と子供は次々に城を下りて行った。藤吉郎は残ると言い張る吉乃を必死で説得していた。

「甚助殿が必ず、弥平次殿を助けるでしょう。お互いに生きていれば、必ず、会う事ができます。こんな所で死んではいけない」

「いいえ。わたしは土田家の嫁です。ここで死ぬのは当然の事です」

「俺は八右衛門殿と約束しました。吉乃様を必ず連れて帰ると。吉乃様を残して、ここを去るわけには行きません」

「そんな勝手な約束をして‥‥‥」

「吉乃様がここにいるなら、俺も残ります」

「駄目よ。あなたはここに残る理由はないもの。早く、みんなを連れて逃げて」

「いいえ。約束を守れない人間は信用されません。吉乃様を助けずに尾張に帰ったら、俺は誰にも相手にされないでしょう。そんな事になるんなら、ここで死にます」

 格子窓から入って来た敵の矢が、二人の頭上を通り抜け屋敷の壁に突き刺さった。

「キャー」という悲鳴が聞こえた。

 藤吉郎は素早く、吉乃を抱くようにして身を伏せ、回りを見た。甚助の妻と子がまだ残っていたが、侍たちに説得されて、ようやく屋敷から出て行った。残されたのは藤吉郎と吉乃だけになった。

 吉乃は甚助の妻と子を見送るとほっとして、「さあ、早く逃げましょ」と藤吉郎の手を取った。

 藤吉郎は急に態度を変えた吉乃に驚いた。

「早くこんな所から逃げたかったのよ。でも、姉上様の前で、そんな事言えないでしょ」と吉乃は舌を出した。「あなたが助けに来てくれるのを待ってたの。ありがとう」

「幸せじゃなかったんですか」

 また、矢が飛んで来た。

「そんな話、後でいいわ。早く、ここから逃げましょ。こんな所で死にたくないわ」

 吉乃は藤吉郎の手を引っ張った。

 藤吉郎には何が何だかわからなかったが、吉乃が喜んでいるのだから、これでいいのだろうと吉乃と手をつないで抜け穴への道を駈け下りた。幸い、敵は追っては来なかった。

 抜け穴の所まで来るとまだ、二十人近くの女と子供たちが水の中に入るのを恐れて、まごまごしていた。惣兵衛が穴の所にいて藤吉郎が吉乃を連れて来たのを見ると、「先に吉乃様を行かそう」と手招きした。

 藤吉郎は吉乃と共に水の中に入ると、吉乃の手を引いて穴の中を通り抜けて川へと出た。川の所には弥助がいて女たちを案内していた。「吉乃様を頼む」と藤吉郎は吉乃を川から上げると弥助に言った。

「任せておけ」

「あなたはどこ行くの」と吉乃が髪をかき上げながら藤吉郎に聞いた。

「女たちを連れて来る。どうせ、泳げなくてオロオロしてるんだろ。手を引いて無理やりにでも連れて来る」

「あたしも行くわ」と吉乃は川の中に飛び込んで来た。

 弥助は吉乃の行動に驚き、水の中の藤吉郎と吉乃を交互に眺めた。

「あたし、あの後、泳ぎのお稽古をしたのよ。あそこよりもっといい場所を見つけてね。夏になると毎年、三人で泳いでたの」

 吉乃のお陰で幼い子供たちも女たちも皆、無事に抜け穴を抜ける事ができた。川から山の中に入ったが、敵に遭遇する事もなかった。皆、城の方に攻め寄せたようだった。

 泥だらけの着物をまとった女子供五十人を連れた一行は無事に国境を越えて、ほっとした。

 一休みしていると突然、馬のいななきが聞こえ、敵かと警戒したが味方だった。蜂須賀小六が仲間を引き連れて迎えに来てくれた。

「ご苦労じゃったな」と小六は吉乃と一緒にいる藤吉郎を見て笑った。

「猿、わしらにも別嬪を分けろや」と青山新七郎が言った。

 女と子供は小六たちの馬に乗って生駒屋敷へと向かった。
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