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14.花の都

 琴の調べに混ざって流行り唄がどこからか聞こえて来る。

「さあ、若旦那様」と目のクリッとした娘が頬を赤らめて、しどけない姿で酒を注ごうとした。紅色の着物の裾ははだけ、白い足が太ももまで丸出しだった。

 若旦那と呼ばれたのは真っ赤な顔をした藤吉郎。派手で、しかも上等の着物を着てニコニコしている。豪華な料理の載ったお膳をいくつも並べ、左右に綺麗所をはべらしていた。

「若旦那様、駄目ですよお」と左側の色白で切れ長の目をした娘が藤吉郎を睨んで膝をたたいた。藤吉郎は慌てて娘の胸元に差し入れていた手を抜き取り、お道化(ドケ)て見せると酒盃(サカズキ)をつかんで一息に飲み干した。

「ホイ、最高だのう」

「まあ、憎らしい。すみれちゃんばかりかまって。さくら、寂しいわ」と右側の目のクリッとした娘が酒を注ぎながら藤吉郎にもたれかかって来た。

「いやいや、そんな事はない。さくらも可愛い女子じゃ」藤吉郎は酒盃を左手に持ち替えると右手でさくらを抱き寄せ、ニタニタしながら太ももを撫で始めた。

 大きな火鉢を挟んで向こう側には、同じく上等の着物を着て遊女をはべらしている五右衛門がいた。大男の五右衛門は一人の娘を軽々と膝の上に乗せ、もう一人の娘を左手で抱き締めて豪快に笑っている。二人の娘はすでに裸同然の格好で弄ばれていたが、二人ともキャーキャー言いながら喜んでいた。

「あちらさん、相変わらず、大胆ね」とすみれが言った。

「ヤレ、負けてはおれんな」と藤吉郎はすみれを押し倒すと帯を解き始めた。

 二人が京都に来てから半年近くが経っていた。

 京都の町は想像していた以上にきらびやかだった。所狭しと家々が建ち並び、どこに行っても人だらけだった。大通りには様々な物を売っている店がずらりと並び、いつでも欲しい物を手に入れる事ができた。尾張ではなかなか手に入らない一流品も京都では簡単に手に入る。さすが、都だと藤吉郎は感心していた。

 大きな寺院もやたらに多かった。贅沢な僧衣を身につけ、偉そうな面をした坊主がやけに目に付いた。当然、烏帽子(エボシ)をかぶったお公家さんも多かったが、贅沢ななりをした侍たちに比べると、何となく、みすぼらしい感じがする。公家屋敷よりも武家屋敷の方が立派に見え、京都にいるお公家さんより駿府にいたお公家さんの方がいい暮らしをしているように感じられた。

 賑やかな盛り場はあちこちにあった。着飾った女たちは昼夜構わず、手招きしている。五右衛門の言った通り、銭さえあれば確かに面白い所だった。

 五右衛門が言う『世直し』はうまく行っていた。しかし、世直しとは口先ばかりで実際にやっている事はこそ泥と変わりなかった。藤吉郎が針売りをしながら目ぼしい相手を見つけ、夜になると五右衛門がおナツと共に目標の家に忍び込んで、銭あるいは金目の物を奪い取るという手筈になっていた。

 初めの頃、藤吉郎は針売りをしながら細々と暮らし、五右衛門が盗んで来た銭に手を出す事はなかった。五右衛門とおナツは銭を湯水のように使って贅沢な暮らしを楽しんでいたが、藤吉郎はその日、その日の生活に追われていた。

「ねえ、つまんない意地なんか張ってないで楽しくやりましょ」とおナツが言っても、「俺は充分に楽しいわ。盗っ人の仲間には入らん」と突っぱね、

「せこい事にこだわるな。世の中は綺麗事だけじゃ生きられねえ。大物になるには、それなりに手を汚さなくちゃなんねんだよ」と五右衛門が言うと、「おめえのやってる事が大物のやる事か」と食い下がった。

「今はほんの小手調べだ。そのうち、でっけえ事をやる」

「おめえはいつも口先だけだ」

「おめえより増しだ。城の主になると言ってる奴が針売りなんかして情けねえ」

「うるせえ!」

 ところが事件が起きた。藤吉郎の針を買ってくれる長屋のおかみさんの娘が、借りた銭の形として連れて行かれてしまったのだった。藤吉郎の話をいつも喜んで聞いてくれる娘は、まだ十三歳で可愛い娘だった。おかみさんが何度も頭を下げても、鬼の七兵衛と呼ばれる高利貸しは容赦なかった。目の前で、泣き叫ぶ娘が連れて行かれるのを見た藤吉郎は腹の底から怒りが込み上げて来るのを感じた。長屋の者たちから訳を聞き、七兵衛のあくどいやり方を知ると密かに七兵衛の家を偵察した。大きな蔵はあったが家は立派とは言えなかった。それ程の大物ではなく、長屋に住む弱い者たちだけをいじめている、けちな小悪党のようだった。五右衛門の相手に丁度いいと言えた。藤吉郎はさっそく五右衛門に七兵衛の事を告げた。

「ほう、その高利貸しをおめえがやるのか」と五右衛門は最近始めた茶の湯の道具を眺めながら興味なさそうに言った。

「そう言うな。これはおめえの言う世直しだ。七兵衛をやっつけてくれ」

「ほう、俺にやれというのか」

「俺には無理だ」

「俺のやり方は荒々しいぞ。そいつを殺してもかまわねんだな」

「殺すのか」

「そういう野郎は殺しておかねえと、後で長屋の連中が仕返しされる事になるぞ」

「そうか‥‥‥」

「おめえ、娘を助けてんだろ。殺さねえと、その娘はまた捕まっちまうぜ」

「しかし、殺したら騒ぎがでっかくなるぞ」

「名もねえ高利貸しの一人や二人死んだからって誰も騒ぎはしねえよ。俺のやり方でいいなら、その話、乗ってもいいぜ」

 藤吉郎は仕方なく五右衛門の条件を飲んだ。

 七兵衛の襲撃はうまく行った。藤吉郎が弓矢を持って見張りをし、おナツが娘を助け出し、五右衛門が七兵衛を殺した。一応、奉行所の役人が調べに来たが、形通りの手続きをしただけで厳しい詮索もなかった。藤吉郎はほっと胸を撫でおろした。五右衛門は得意顔だったが、奪い取った収穫は期待したほどではなかった。蔵の鍵を開ける事ができず、手元にあった銭しか取れなかった。それでも、三人がしばらくは贅沢できるだけの銭だった。

 その後、藤吉郎が悪党を見つけ出して、五右衛門らが襲撃するという事が繰り返され、二人は遠江から京都見物に来た商家の若旦那と称していた。若旦那に相応(フサワ)しい贅沢な格好をして、夜な夜な遊び歩いていた。面白くないのはおナツで、五右衛門と顔を合わせれば喧嘩していた。

 静まり返った真夜中、藤吉郎は遊女屋の天井をじっと見つめていた。両脇にはすみれとさくらが気持ちよさそうに眠っている。

 春とはいえ、まだ寒かった。藤吉郎は二人を抱き寄せると夜着(ヨギ)を掛け直した。

 こんな事をしていていいのだろうか。毎日、うまい物を食べ、欲しい物は何でも手に入る。女に不自由する事もない贅沢な暮らしをしていても、藤吉郎は何か物足りなさを感じていた。五右衛門の言う『世直し』も、確かに、いいかもしれない。しかし、それは五右衛門の仕事であって、自分の仕事ではない。自分のやるべき事はやはり、亡き筑阿弥の言ったように、木下家を再興して、立派な侍になる事ではないのだろうか。

 いつまでも、こんな事をしていたら駄目だ、と女を抱いた後、いつも、そう思っていながら、一度覚えた贅沢な暮らしから足を洗う事はなかなかできなかった。

「また来てね」と遊女たちに送られ、藤吉郎と五右衛門は昼近く、遊女屋を後にした。

「そろそろ、あの店も飽きたな」と五右衛門はあくびをしながら言った。

「もっと高級な店に行くか」

「高級な店にいる高級な女子(オナゴ)ってえのを一度、抱いてみてえが、そういう店には侍どもが多いからな。奴らと騒ぎを起こしたくはねえ」

「情けねえ」

「なに言ってやがる。おめえだって捕まりたかねえだろ」

「まあな‥‥‥」

「そろそろ、銭が底をついて来た。新しい獲物を見つけてくれよ」

「ああ、わかってる」

 桜が満開に咲き誇っている頃、藤吉郎は五右衛門、おナツと一緒に四条河原に花見に出掛けた。

 四条河原には大勢の芸人たちが集まって様々な芸を競い合っていた。粗末な小屋掛けの芸人もいれば、立派な舞台を構えた一座もある。河原は祭りさながらの賑やかさだった。

 酒を飲みながら、ほろ酔い気分で芸人たちを見て歩いていた藤吉郎は、舞台上で踊っている一人の娘に釘付けになった。

「吉乃(キツノ)だ」と藤吉郎は思わず、つぶやいた。

「吉乃って生駒様の娘でしょ。こんな所にいたの」とおナツが聞いた。

「どれだい、おめえが惚れてた娘ってのは」と五右衛門は舞台上の娘を眺めた。

 三人の娘が派手なかぶき姿で踊っていた。

「右の娘だ。吉乃にそっくりなんだ」

「へえ、あれか。うむ、いい女子だ。しかし、俺の好みじゃねえな。俺は真ん中のがいい」と五右衛門はニヤけていたが、すぐに、「痛え」と悲鳴を上げた。

 見るとおナツが五右衛門の足を踏ん付けていた。

「行ってくれば。今度こそ、ものにしなよ」とおナツは笑った。

 藤吉郎はうなづくと舞台の側まで行き、間近で、その娘の華麗な舞を堪能した。近くで見ると、やはり違う娘だったが、何となく雰囲気は吉乃によく似ていた。

 若旦那と称して藤吉郎はその娘に近づき、毎日のように土産を持って舞台に通った。

 娘の名は玉風(タマカゼ)といい、京都に落ち着くまでは各地を旅して回っていたという。苦労している芸人のわりには世間擦れしてなく、素直で可愛い娘だった。

 藤吉郎は夢中になった。銭の力に物を言わせて玉風を我が物とする事には成功した。しかし、玉風を引き留めるためには多額の銭が必要だった。藤吉郎は玉風のために何度も盗みを手伝わなくてはならなかった。

「若旦那様、ほんとは故郷にいい人がいるんでしょ」と玉風は布団の中で藤吉郎を睨んだ。

上目使いに藤吉郎を見ているその顔は何とも言えず、可愛かった。このまま、ずっと、いつまでも一緒にいたいと藤吉郎は思った。

「いや、そんなのはいない。俺は嫁さんを捜しに、この京の都に来たんだ」

「ほんと?」

「ほんとさ」

 藤吉郎は玉風を優しく抱き寄せた。

「でも、あたしみたいな芸人じゃ、若旦那様のお嫁さんにはなれないわね」

「そんな事ないさ」

「駄目よ。きっと御両親が反対なさるわ」

「大丈夫さ。お前のようないい女子は他にはいない」

「若旦那様‥‥‥」玉風は藤吉郎を見つめ、「あたしをお嫁さんにしてくれるのね」と左手で藤吉郎の胸をそっと撫でた。

 藤吉郎はうなづいた。

「嬉しい」と玉風は目を輝かせて抱き着いて来た。

 藤吉郎は玉風と会う時はいつも、高級な旅籠屋を借りていた。ずっと、そこに泊まっている振りをして、玉風のために、うまい料理を運ばせていた。玉風は藤吉郎の事を若旦那だと信じていた。玉風に嘘をつきたくなかったが、今更、本当の事を言うわけにはいかなかった。好きになればなる程、嘘をついているのが辛かった。

 藤吉郎が玉風を四条河原まで送って機嫌よく帰って来ると、「おい、助けてくれ」と五右衛門が駈け寄って来た。

「この、くそったれ!」とおナツが青筋を立てて追いかけて来た。

「また喧嘩かよ。ちったあ仲良くしたらどうだ。どうせ、また、おめえがどっかに女子を作ったんだろ。たまには、おナツを可愛がってやれよ」

「猿、たまにはとは何よ、たまにはとは。あたしだけ可愛がってればいいのよ」

 おナツの鉾(ホコ)先が藤吉郎に向かって来た。こういう時は逃げるに限ると、二人は家から飛び出して行った。

 飲み屋の暖簾をくぐると二人は無言で酒を飲み始めた。二人とも以前に比べると、かなり酒が強くなっていた。

「面白えか」と藤吉郎は聞いた。

「何か物足らねえ」と五右衛門は答えた。

 藤吉郎はうなづき、「なぜだかわかるか」と聞いた。

 五右衛門は酒を一口飲んだ後、口を歪めて、「わからねえ」と言った。

「俺にはようやくわかったぜ。自分に嘘をついてるから面白くねえんだよ」

「何だと」

「今の俺は木下藤吉郎じゃねえ。遠州屋の若旦那だ。おめえだってそうだ。石川五右衛門じゃねえ。駿河屋の若旦那だ。しかも偽物だ。偽りの生き方をしてたんじゃ面白えわけがねえ」

「偽りの生き方か‥‥‥」

「そうだ。世直しをやるなら正々堂々とやれ。石川五右衛門の名を表に出して、侍どもを敵に回して戦うつもりでやるんだ。コソコソやってたんじゃ、いつまで経っても世直しなんかできねえ」

 五右衛門は藤吉郎の顔を見つめながら、うなづいた。「俺もその事は考えてたんだ。でも、今の方が楽だからな、つい、楽な方を選んじまった。しかし、もう、ぬるま湯のような暮らしにも飽きて来た。女遊びも飽きたしな、おナツ一人で我慢するよ」

「それがいい。おナツは本気でおめえに惚れてる。あれだけ遊びまくっても、おめえの帰りを待ってたんだ。あんな女は滅多にいねえ」

「わかってる。石川五右衛門としての初仕事を捜してくれ」

「ああ」

「おめえはどうするんだ。おめえの名も表に出すのか」

「いや、俺は盗っ人にはならねえ。やっぱり、侍になる事に決めた」

「ここで仕官口を捜すのか」

「一応、捜してみるが無理だろう。つてもねえし、所詮、よそ者だからな」

「尾張に帰るのか」

「それしかねえだろう。ただ、土産話に、こっちの事をちょっと調べてみようと思ってる」

「そうか。それがいいかもしれねえ。おめえには侍が向いてる。おめえが城持ちになったら、俺がおめえの陰(カゲ)になってやるよ」

「俺の陰?」

「ああ。一流の武将は皆、一流の忍びを使ってるんだ。世の中には必ず、表と裏がある。表の世界だけを支配しても裏の世界を支配できなけりゃ、今の世の中は生きては行けねんだよ」

「裏の世界か‥‥‥」

「お互いに頑張ろうぜ」

 藤吉郎は針売りを続けながら情報を集めた。町人の世界にいた頃、幕府の事など気にも止めなかったが、将軍様が今、京都にいないという事を知って藤吉郎は驚いた。今、幕府を支配しているのは三好筑前守(チクゼンノカミ、長慶)という男だという。しかし、三好筑前守の政権も決して安泰とは言えず、回り中に敵がいるらしかった。

 仕官口は当然なかったが、尾張から来た商人から耳寄りな情報を聞く事ができた。あの上総介が織田大和守の清須城を奪い取り、今、新しい城下造りを始めているという。

 清須城を取ったという事は尾張の国半分を支配下にしたという事だった。もしかしたら、あの男は尾張の国すべてを我が物にするかもしれない。そう思ったら、もう、じっとしてはいられなかった。

 藤吉郎は玉風との最後の夜を今まで以上に贅沢に過ごした。そして、父親が急に亡くなったので、急いで帰らなければならないと嘘をつき、改めて、迎えに来るから待っていてくれと別れた。絶対に迎えに来てねと玉風は涙を溜めていた。

 玉風に本当の事を告げようかと思ったが、それはできなかった。このまま、玉風を尾張に連れて帰ろうかとも思ったが、それもできなかった。玉風が好きな男は木下藤吉郎ではなく、この世に存在しない遠州屋の若旦那だった。辛いが、若旦那のままで別れるしかなかった。

 玉風との辛い別れを済ました後、藤吉郎は上等な着物を脱ぎ捨てて遠州屋の若旦那に別れを告げ、粗末な着物を身に付けて針売りの藤吉郎に戻った。重い荷物を投げ捨てたように、すっきりした気分になり、五右衛門とおナツに別れを告げると故郷、尾張へと向かって行った。

 町々では、来月の祇園祭りの準備のため、町人たちが忙しそうに走り回っていた。
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