蜂須賀党の仲間に入った藤吉郎は彼らと一緒に馬にまたがり各地を駈け回っていた。
鉄砲をかついで飛び回ってはいても、別に戦をしていたわけではない。生駒家を初めとして商人たちの荷物の輸送を護衛するのが任務だった。戦に敗れた落ち武者たちが徒党(トトウ)を組んで野武士と化し、商人たちを襲撃するのが日常茶飯事のごとくに行なわれていた。尾張国内を通過するには蜂須賀小六に頼めば安心と小六は商人たちから信頼され、護衛の仕事は次から次へと舞い込んで来た。小六は配下の者たちを各地に飛ばして、商人より護衛料を稼いでいた。
藤吉郎も三輪弥助らと共に何度も護衛に加わったが、誰かが襲って来るという事はほとんどなかった。それもそのはずで尾張国内の野武士で小六に逆らう者はすでにいない。小六に護衛を頼まない場合、小六が命じて配下の者に襲撃させるのだった。
藤吉郎は小六の仲間に入って、改めて、小六という男の力を思い知った。尾張の国には山らしい山はあまりなく、野武士たちが隠れているのは木曽川周辺だった。
木曽川はいくつもの支流を作って流れ、美濃との国境を成していた。川の流れは不安定で洪水の度に流れを変えた。川の中にはいくつもの中洲があり、それらは尾張にも美濃にも属さず、法の及ばない無法地帯と言えた。そんな中洲を拠点にして川並(カワナミ)衆と呼ばれる野武士たちがいた。船を巧みに操り、木曽川を上り下りする船から通行税を取り、逆らう者は襲撃するという海賊まがいの荒くれ者たちだった。彼らは水上を自由に行き来するだけでなく、あちこちに点在する中洲では馬の飼育をし、馬を扱うのも得意で傭兵(ヨウヘイ)として戦にも参加していた。さらに、鉄砲という武器を早くから取り入れ、鉄砲の名人も多かった。それら川並衆の親玉が蜂須賀小六だった。
元々、彼らは木曽川の各地に分散し、それぞれの頭に率いられて独自の活動をしていた。松倉の坪内又五郎、日比野の日比野六太夫、鹿子島の立木伝助、柏森の兼松惣左衛門、柳津(ヤナイヅ)の板倉四郎右衛門、小熊の小木曽平八、大浦の村瀬兵衛門(ヒョウエモン)、桑原の武藤九十郎、長島の三輪五郎左衛門らが主立った頭だった。一癖も二癖もある彼らを一つにまとめるのは容易な事ではない。小六はそれを鉄砲という新しい武器を使ってまとめる事に成功した。
鉄砲がまだ珍しかった頃、小六は鉄砲の威力を見せつけ、彼らを驚かせて支配下に組み入れて行った。小六の本拠地であった蜂須賀郷は津島に近く、小六の姉が津島の有力商人である堀田孫右衛門に嫁いだ関係から、小六は早いうちに鉄砲を手に入れる事ができた。
小六は鉄砲を生駒八右衛門に紹介し、興味を示した八右衛門はその財力によって、さっそく堺より鉄砲を手に入れ、清須より藤吉郎の伯父、孫次郎を呼び寄せ製作に当たらせた。しかし、鉄砲を作るのは難しく、藤吉郎が生駒屋敷にいた頃、孫次郎は堺に修行に行った。鉄砲製作の技術を身に付けて帰って来た孫次郎はようやく鉄砲を完成させ、今では親方として十人の弟子を使って、毎月、五挺の鉄砲を作っている。それらの鉄砲は小六より川並衆に配られていた。鉄砲には火薬が付き物だが、国内では生産する事ができず、手に入れる事は難しかった。その火薬を扱っているのが津島の堀田孫右衛門であるため、小六を通さなければ手に入らない。小六は火薬を自由に扱う事によっても川並衆を支配していた。
生駒屋敷で鉄砲を作っているという噂は那古野の上総介の耳にも入り、鉄砲好きな上総介は鉄砲を手に入れるために生駒屋敷に出入りするようになったという。
藤吉郎は小六を見直し、大したもんだと感心していたが、小六は決して今の生活には満足していなかった。
「昔はよかったわ」と言って十年近く前を懐かしがった。
「当時、尾張の備後守と美濃の斎藤道三は年中、戦をしていた。わしらは戦働きをして、随分と稼いだ。犠牲も多かったが稼ぎも多かった。今は退屈でかなわん」
「美濃方として戦ったのですね」
「当然じゃ。備後守は仇じゃったからのう」
小六の義兄に当たる津島の堀田孫右衛門には道空という弟がいて、美濃の斎藤道三に仕えていた。その関係により、小六は道三方として川並衆を率いて織田備後守と戦っていた。川並衆の神出鬼没な奇襲によって道三は攻め寄せて来た備後守を何度も追い払っていた。
「備後守の伜の上総介は討たないんですか」と藤吉郎は聞いた。
「奴は自然に滅びると思っておった」
「しかし、上総介は清須城を奪い取って、下四郡の守護代に成り上がりましたよ」
「確かにな、今の所はいい調子じゃ。奴はいい気になって岩倉にも出入りしている。岩倉の伊勢守(信安)は猿楽(サルガク)に熱中しておってな、上総介は伊勢守より教えを受けてるそうじゃ」
「上総介が猿楽ですか」
「奴が猿楽をやるかどうかは知らんが、踊る事は好きらしい。この間、清須で行なわれた盆踊りは大盛況で、上総介はかぶいた格好して、一晩中、踊りまくったそうじゃ」
「へえ‥‥‥」と藤吉郎は上総介が踊っている姿を想像してみた。なかなか様になっているような気がした。
「それにな、上総介は伊勢守に女子の世話までしてるらしいのう。女子好きの伊勢守を傾城(ケイセイ、美女)を使って骨抜きにするつもりじゃ」
「岩倉の殿様は女子好きなんですか」
「伊勢守はな、領内の美女を手当たり次第に狩り集めて、女たちに猿楽の指南をしてるんじゃ。しかしな、実際には女たちに裸踊りをさせてニヤニヤ楽しんでるらしい。そこに上総介が美女を引き連れて加わり、一緒になって騒いでいる。殿様がそんな具合に遊びほうけてるから城下の者までが堕落し切っている。侍から町人に至るまで仕事などろくにせず、昼間っから酔っ払って遊女屋はいつも一杯じゃ。あの様じゃ、岩倉も上総介にやられるかもしれんな」
「あのお城の中で裸踊りをしてるんですか」
「そうじゃ。綺麗所ばかり集めてのう。羨ましい限りじゃが、やり過ぎじゃな」
藤吉郎は京都の生活を思い出した。岩倉の殿様ほどではないが、藤吉郎も五右衛門と一緒に何人もの遊女をはべらして豪勢に遊び回っていた。女たちと裸踊りをして騒いだ事もあった。確かに、いい気分だった。もう一度、京都に行って、五右衛門と一緒に遊びたいと思う事も何度かあった。玉風にも会いたかった。しかし、また、遠州屋の若旦那になるわけには行かない。いつか、きっと偉くなって、玉風を迎えに行かなければならない。それには、上総介の家来にならなければならなかった。
「小六殿、上総介ですが、小六殿の考えだと上総介は岩倉も奪い取ると思いますか」と藤吉郎は聞いてみた。
「わからんのう」と小六は首を振った。「奴の回りにはまだ、敵が多いからな。上総介は伊勢守を丸め込んだつもりでいるが、伜の左兵衛(サヒョウエ、信賢)は上総介嫌いじゃ。遊びほうけてる伊勢守に不満を持っている重臣たちを味方に付け、反乱を起こす可能性も充分に考えられる。そうなれば、岩倉は上総介の思い通りにはならん。犬山の十郎左衛門(信清)も敵じゃ。奴は上総介の義兄に当たるんじゃがな、上総介の味方とは言えん。隙さえあれば上総介の領地をかすめ取ろうとたくらんでいる。それに身内にも敵はいる。上総介と末森にいる弟の勘十郎(信勝)は同じ母親から生まれた兄弟じゃが、その母親が嫡男の上総介を毛嫌いしてのう、弟の勘十郎に家督を継がせたいと願ってるんじゃ。重臣たちの多くが母親と共に勘十郎に付き、上総介を倒して勘十郎を当主にしようとたくらんでいる。那古野にいる叔父の孫三郎(信光)も食わせ者じゃ。上総介と勘十郎を争わせて、漁夫の利を得ようとたくらんでいる。奴がそいつらをどうやって倒して行くかじゃな」
「敵だらけですか‥‥‥」
「うむ、敵だらけじゃ。わしから見れば上総介が勝とうが負けようがどっちでも構わん。戦が起きれば勝つ方に味方をするだけじゃ。ただな、上総介の奴が生駒家に出入りするのは困る。奴が岩倉で裸踊りをするのは構わんが、その度に生駒家にも顔を出すのは、ほんとに困った事じゃ。生駒家に行けば各地の情報を得られるから奴も出入りするようになったんじゃろうが、八右衛門殿がすっかり奴に惚れ込んじまったんじゃ」
小六は渋い顔をして宙を睨んだ。
「えっ、八右衛門殿が上総介を‥‥‥」藤吉郎は驚いた顔を小六に向けた。
「ああ。あの態度は心底、惚れ込んでおるわ。どこに惚れたのかは知らんが、奴がこの尾張の国の守護になると本気で思い込んでいる。あの八右衛門殿が頭を低くして上総介を迎える所など見たくもねえわ」
「親父さんの蔵人(クロウド)殿はどうなんです」
「蔵人殿は犬山の与次郎(信康)殿と昵懇にしておられたが、与次郎殿が戦死すると商売一筋に打ち込まれたわ。今は隠居してるも同然じゃな」
八右衛門が上総介に惚れ込んでいたとは知らなかった。八右衛門に頼めば、上総介に仕える事ができるかもしれないと思った。しかし、小六は上総介を高く買ってはいない。上総介に仕えたとしても、上総介が回りの敵に負けてしまったのではどうにもならない。もう少し、ここにいて、鉄砲の稽古をしながら様子を見ていた方がよさそうだと藤吉郎は結論を出した。
その年の十一月、美濃の斎藤道三の長男、新九郎(義龍)が弟の孫四郎と喜平次を殺すという事件が起こった。道三が三男の喜平次を可愛がり、喜平次に家督を譲ろうとしたのを阻止するため、新九郎が二人の弟を殺してしまったという。また、別の説では新九郎は道三の子ではなく、かつての美濃の守護、土岐(トキ)左京大夫(頼芸)の子で、実の父を追放した道三への恨みから道三の子である弟を殺したのだと噂されていた。
小六はその話を聞くと道三から出陣の声が掛かるに違いないと、配下の者たちに戦支度をさせて待機させた。
同じ頃、尾張では那古野城にいた上総介の叔父、孫三郎が家臣に殺されるという事件が起こった。小六が言うには上総介によって殺されたのだという。
「上総介の奴、まず一人は片付けたようじゃな」と小六は笑った。
美濃では兄が弟を殺し、尾張では甥が叔父を殺した。権力を手に入れるためには身内までも殺してしまうという感覚が藤吉郎には理解できなかった。武士という者の非情さが寒気立つ程、恐ろしかった。
そんな頃、石川五右衛門がやって来た。夜中に突然、長屋にやって来て、何も言わずに藤吉郎の枕元に座り込んだ。藤吉郎は目を覚まし、目の前の人影に驚いて慌てて刀に手を伸ばした。五右衛門は藤吉郎の腕を押さえ、「俺だ」と小声で言った。
藤吉郎は上体を起こすと、「馬鹿野郎、脅かすな」と目をこすった。
何となく、いつもの豪快さがなく、やつれているように感じられた。
「こんな夜中にどうした」と聞くと、「しくじっちまった」と小声で言った。
「しくじった? 盗みに失敗したのか」
五右衛門はうなづいた。
「おナツはどうした。京都に置いて来たのか」
五右衛門は首を振った。
「ふん、とうとう逃げられたか。懲りずに女遊びにうつつを抜かしてたんだろ」
「確かに俺が悪かった。もっと、おナツを可愛がってやればよかったんだ」
「今頃、言っても遅えわ。今頃、おナツは他のいい男とうまくやってるよ。あいつはいい女子だからな」
「ああ。いい女子だった」
「おナツに振られて逃げて来たのか、情けねえ野郎だ」
「おナツは死んじまったんだ‥‥‥」
「何だと」
藤吉郎は五右衛門の腕をつかんだ。五右衛門は声を殺して泣いていた。
藤吉郎がいなくなってから、五右衛門は本気で『世直し』の事を考え、おナツと一緒に針売りをしながら襲う相手を捜していた。
五右衛門の名を出す最初の仕事に相応(フサワ)しい大物を狙ったのが悪かった。表向きは善人面をしていて裏で悪事を働いている商人を見つけ、充分な偵察をした上で襲撃した。小悪党を相手にしていた時とは違い、見た事もない大金を目にして欲を出したのがいけなかった。警固の侍に見つかり、相手をしているうちに大勢の侍に囲まれてしまった。おナツは無残に斬り殺され、五右衛門は傷を負いながらも必死に逃げた。しかし、相手は余程の大物だったとみえて、似顔絵まで描かれて追われるはめになってしまった。そうでなくても図体のでかい五右衛門は目立ち、京都にいられなくなって逃げて来たという。
「あの商人は幕府とつながりがあったんだ。名前までは知らねえが幕府の偉え侍とくっついて、裏であくでえ事をしていやがった。おナツを殺した幕府の連中を俺は絶対に許さねえ。皆殺しにしてやる」
口では勇ましい事を言っていたが、おナツを失った五右衛門の悲しみは深く、吉乃を失った時の藤吉郎のように、何もやる気が起きないようだった。毎日、情けない顔をして藤吉郎の部屋でゴロゴロしていた。小六の屋敷には各地から武装した野武士たちがやって来て騒々しかったが、五右衛門はただぼうっとしているだけだった。
「近々、美濃で戦が始まるらしい」と藤吉郎が言っても何の興味も示さなかった。
道三からの使いがなかなか来ないので、小六は美濃に使いを出した。使いはその日のうちに帰って来て、美濃では戦の始まる気配はまったくないと告げた。堀田道空に聞いてみると、道三は三男の喜平次を失った衝撃から立ち直れず、さらに、今年の冬の異常な寒さにもやられて寝込んでいる。春になるまで待ってくれとの事だった。
「道三殿も年を取られたもんじゃな」と小六の側近である岩田七右衛門が言うと、
「いや、違う」と小六は厳しい顔付きで否定した。「蝮(マムシ)と言われた道三殿が何もせずに寝ているはずはねえ。今、戦を始めたら不利と判断して気落ちした振りをしてるに違えねえ」
「という事は裏で密かに動いているというのか」と前野小太郎が聞いた。
「多分な。今回の戦は親と子の家督争いに過ぎんが、美濃の国を二つに分けて戦う大戦(オオイクサ)となろう。新九郎は前守護、土岐左京大夫の子だと宣言し、道三殿は実の父親ではねえと言っている。真偽の程はわからんが、美濃で名門である土岐家の名を出せば、大勢の家臣が新九郎に従ってしまう。よそから来て父子二代で美濃の領主と成り上がった道三殿に勝ち目はねえ。そこで、味方を集めるために道三殿は床に臥せりながら躍起になっている事じゃろう」
「春になれば道三殿の方が有利になるのですね」と藤吉郎は聞いた。
「いや。それはわからん。わからんが道三殿は勝利を確信しなければ戦はやるまい」
「わしらも美濃の様子を充分に調べておいた方がよさそうじゃな。勝てる方に付かなければならんからな」と前野小太郎は小六を見ながら言った。
小六はうなづいたが、顔は厳しいままだった。
戦が中止になったと聞くと三輪弥助はすぐさま馬にまたがり、「猿、ちょうと用があって清須に行くが、ついでにおめえのうちに寄ろうと思ってる。母ちゃんに言いてえ事があったら伝えてやるぞ」と浮き浮きしながら言った。
「別にありません。元気でやってると伝えて下さい」
「姉ちゃんには何という」
「早く、嫁に行った方がいいと」
「馬鹿言え、わしにそんな事、言えるか」
弥助は照れ臭そうに笑うと馬の腹を蹴って出掛けて行った。
五右衛門は半月後、何とか立ち直ると、「やり直しだ」と言って伊賀に帰って行った。
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