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7.侍奉公

 蜂須賀小六の屋敷はすぐに見つかった。

 最初に出会った農夫に聞いたらニコニコしながら丁寧に教えてくれた。農夫の指さす方を目指して行くと宮後(ミヤウシロ)村という所に着き、小六の屋敷はすぐにわかった。

 宮後村の領主、安井弥兵衛の屋敷と隣り合って並び、共に水を湛えた堀と土塁に囲まれた大きな武家屋敷だった。

 藤吉郎は門番に、生駒家からの使いでやって来たと嘘を言って屋敷内に入れてもらった。しかし、小六はまだ帰っていなかった。

 小六の屋敷は烏森の杉原家の屋敷よりもずっと広く、母屋(オモヤ)を中心に侍長屋らしい建物がいくつも並んでいて、藤吉郎はその一部屋で待たされた。小六はなかなか帰って来なかった。

 じっと待つ事に退屈し、屋敷の中をうろうろと見て回ると、女たちは台所で働いているが、男は門番しかいなかった。藤吉郎は女たちの仕事を手伝いながら小六の帰りを待った。

「あんた、どっから来たん」と雑用をやらされている娘が聞いて来た。

「生駒様のお屋敷から来たんだ」と藤吉郎は面倒臭そうに答えた。

「ふーん。何しに来たん」

「小六様に用があったから来たんだよ」

「御主人様に何の用なん」

「おめえには関係ねえ」

 おしまという娘は藤吉郎に付きまとって、何だかんだと聞いてきた。

「どうして、おらの仕事を手伝ってくれるん」

「暇だからだよ」

「おら、嬉しいわ」

 藤吉郎はおしまの顔をマジマジと見た。わりと可愛い顔をしていた。それに、着物がはち切れんばかりに胸が大きかった。幼い顔付きと立派な体付きはまったくの不釣り合いで、それが魅力とも言えた。

「おめえ、いくつなんだ」と藤吉郎は聞いた。

 おしまは藤吉郎と同じ十五歳だった。近所の百姓の娘で、父親が足軽として戦に行って片足を失い、母親は男を作って逃げてしまった。おしまは父親の面倒を見るために、ここで奉公しているとの事だった。

 日暮れ近く、何人かの侍が馬に乗って騒々しく帰って来た。妹の姿はあったが小六の姿はなかった。藤吉郎は屋敷の隅にある蔵の陰で寒さに震えながら、おしまを口説いていた。おしまに惚れたわけではないが、その体には充分に興味があった。

「小六様の妹さんはどうして、男のなりをしてるんだ」と藤吉郎はおしまに聞いた。

「そんな事は知らねえ」とおしまは首を振った。「おらが来た時から、あんな格好してた」

「ふーん。強えのか」

「そりゃ、強えよ。おら、おすわ様が寄って来る男たちを倒すのを何度もこの目で見たわ」

「おすわ様っていうのか」

「そう、おすわ様だ。その下にも、おらと同い年のおゆう様っていうのがおるけど、おゆう様もおすわ様とおんなじに強え」

「へえ、おゆう様っていうのもいるんだ」

「おゆう様も別嬪(ベッピン)だけど、あんた、好きになっても駄目だ」

「どうして」

「石ツブテでやられる」

「おゆう様は石ツブテが得意なのか」

「うん。百発百中だ」

「へえ、凄えな‥‥‥おめえだって、よく見りゃいい女子(オナゴ)だ」

「やだよお、この人は」とおしまは嬉しそうに藤吉郎の肩を押した。

「おめえ、寒くねえか」と藤吉郎が抱き寄せようとすると、おしまは藤吉郎の手を打ち、「寒くねえ」と睨んだ。

 おしまが女中部屋に帰った後、藤吉郎は門番小屋に行って、小六の帰りを待った。火鉢に当たりながら、うとうとしていた時、ようやく小六が帰って来た。

 藤吉郎は跳び起きると小六を迎えた。馬から下りると、小六はいい機嫌になって卑猥(ヒワイ)な小唄を歌っていた。藤吉郎の顔を見ても驚くわけでもなく、酒臭い息を吹きかけて、「おっ、どっかで見た面じゃのう」と笑った。

「生駒屋敷にいた木下藤吉郎です」と言うと、藤吉郎の顔をじっと見つめ、「おう、猿じゃ、猿じゃ」と藤吉郎の肩を何度もたたいた。

 鉄砲を教えてくれと頼むと、よし、よし、任しておけと藤吉郎の胸を小突いた。

 藤吉郎は大喜びして、小六と一緒に小唄を歌い、わけのわからない踊りを踊った。小六に誘われるまま、小六の部屋に上がり、酔っ払った小六の面倒を見ながら、その部屋で眠った。

 次の朝、小六より先に起きて台所で働き、小六が起きた頃、挨拶に行くと、小六は昨夜の事など全然、覚えていなかった。藤吉郎の顔を見て、「おっ、どっかで見た面じゃのう」と昨夜と同じ事を言った。

 藤吉郎が名を名乗ると、猿じゃなと思い出したが、「どうして、猿がここにいるんじゃ」と首を傾げた。

 鉄砲を教えてくれと頼むと、駄目じゃと断られた。それでも、出て行けとは言わなかった。何としても、小六から鉄砲を習うまでは、ここからは離れないと覚悟を決め、勝手に廐(ウマヤ)や庭の掃除を始めた。清須にいた頃、職人のもとで、怒鳴られながら雑用ばかりしていたので、何をすれば主人が満足するかを身をもって経験していた。

 藤吉郎は空いている長屋に住み込んで、誰に命じられるわけでもないのに、朝から晩まで雑用をやっていた。台所で働く女たちは、藤吉郎が先の事まで見越して、よく働くので重宝がり、すぐに仲良くなった。特におしまは頼りにして、仕事が終わると毎晩、藤吉郎の部屋にやって来て悩み事を相談していた。しかし、藤吉郎がおしまの体にさわろうとすると拒否反応を起こして帰ってしまう。嫌われたかなと思っていると次の日にはまたニコニコして寄って来る。女子というのは、なかなか難しいものだと藤吉郎は思った。

 小六の母親も藤吉郎の事を気に入り、何か用があると必ず、藤吉郎を呼んだ。男まさりな小六の妹、おすわとおゆうの二人も、ちょっとした事でも、「ねえ、猿、あれやって」「ちょっと、猿、これ頼むわ」と気安く用を言い付けた。

 猿と呼ばれるのは好きではないのに、二人に呼ばれるとなぜか、ニコニコして言う事を聞いてしまう。そんな自分が情けなかったが、どうしようもなかった。なぜか、二人に猿と呼ばれても腹が立たないのが不思議だった。

 おすわは姉に似ていて、何かを言われるたびに姉を思い出し、はい、はいと言う事を聞いてしまう。おゆうの場合は同い年なので、男まさりな格好をしていても、姉を思う事はなかったが、何を言われても、なぜか、逆らう事ができなかった。おしまの言った通り、別嬪だったからかもしれなかった。

 鉄砲を教えてもらうまでは何事も辛抱だと、藤吉郎は何を命じられても、いやな顔もせず、喜んで仕事を引き受けた。時には母親から愚痴を聞かされる事もあり、蜂須賀小六が何者なのかを少しづつ知るようになった。

 立派な武家屋敷に住んでいるので、どこかの殿様に仕えているのだろうと思っていたが、そうではなかった。普段は生駒家の荷駄隊の護衛をして旅に出ている事が多く、戦が起こると傭兵(ヨウヘイ)として、勝てると見極めた方に付き、活躍している野武士だった。小六が一声掛ければ木曽川流域の野武士が一千人余りも集まるという。世の中には不思議な男がいるものだと藤吉郎は小六という男を見直していた。

 蜂須賀家は本来、海東郡の蜂須賀村の領主だった。勝幡城の織田備後守と争って領地を奪われ、父親は戦死した。小六は母親に連れられて、母親の実家である丹羽郡宮後村の安井弥兵衛を頼った。小六は安井家で成長し、備後守を倒すために武芸に打ち込み、川並(カワナミ)衆と呼ばれる木曽川流域の野武士たちを率いて、美濃の斎藤道三の傭兵となり備後守と戦って来た。ところが一昨年の春、道三は備後守と和睦してしまった。道三の娘が備後守の伜、上総介に嫁いだのだった。小六は備後守を倒すため、配下の者を末森の城下に送って様子を探っているが、なかなか、いい機会は得られなかった。

 藤吉郎がここに住み着いてから一月近く経ったある日、庭を掃いていると旅から帰って来た小六が縁側から声を掛けて来た。

「おい、猿じゃねえか。おめえ、まだ、ここにいたのか」

「はい。鉄砲を教えてくれるまでは、ここにいるつもりです」

「わりとしつこい奴じゃのう」と小六は縁側に腰を下ろした。「鉄砲を習って、どうするつもりじゃ」

 藤吉郎はその場にひざまずくと、「父の仇(カタキ)を討ちます」と答えた。

「ほう。おめえの親父は木下何とかと言っておったのう」

「木下弥右衛門です」

「そうか。しかし、仇討ちなら鉄砲で撃つ事もあるまい。刀でも槍でも構わんじゃろ」

「いえ。刀や槍では無理です。いつも、大勢の侍に囲まれてますから」

「ほう、余程の大物とみえるの。一体、おめえの仇とは誰なんじゃ」

「織田備後守です」

「何じゃと。織田備後守?」

「はい。備後守が父の仇です」

「おめえ、本気で備後守をやるつもりなのか、たった一人で」

「はい」

「何という奴じゃ‥‥‥」と小六は藤吉郎の顔をじっと見つめた。「不思議な面じゃのう。本物の馬鹿なのか、とてつもねえ大物になるのか、どっちかじゃな」

「鉄砲を教えて下さい」

「うむ、いいじゃろう。しかしな、鉄砲を習う前に、まず、弓矢の稽古じゃ。弓矢もろくにできん者に鉄砲など撃たせるのは玉薬(タマグスリ、火薬)の無駄じゃ。玉薬は貴重だからな」

 藤吉郎はその日から屋敷の裏にある的場で弓矢の稽古を始めた。小六の配下の三輪弥助という者が藤吉郎に弓矢を教えてくれた。

「猿、おめえ、お頭と同じように備後守を狙ってるそうだな」と弥助は言った。

「えっ、小六様も備後守を?」

「何だ、知らねえのか。お頭の仇も備後守なんじゃ。備後守を倒すために、美濃の斎藤方として何度も戦に出たが、ついに備後守を倒す事はできなかった。なかなか、しぶてえ奴じゃよ、備後守は。しかしな、どうやら備後守は今、病に臥せってるようじゃのう。もしかしたら、もう死んでるとの噂もある」

「備後守が死んでる?」

「噂じゃ。だがの、その可能性は極めて高え。一昨年(オトトシ)の二月、道三殿の娘、胡蝶(コチョウ)殿が那古野の上総介のもとへ輿入れされた時、わしらは護衛として那古野まで行ったんじゃ。その時、備後守の姿を見たが、その後、備後守は末森の城から一歩も外に出てはおらんのじゃ。病に臥せってるというが、どうも怪しい」

「そんな、備後守が死んだなんて信じられません」

「うむ。お頭としても信じたくはねえらしいがの‥‥‥まだ、死んだと決まったわけじゃねえ。今のおめえは弓矢の稽古に励む事じゃ。弓矢の名人だったという親父の名を汚さんためにもな」

 藤吉郎は鉄砲を習うため、必死になって弓矢の稽古に熱中した。弓矢だけでなく、女にも熱中していて、おしまはとうとう藤吉郎のものになっていた。毎晩のように寒さも忘れて、屋敷の隅にある蔵の陰でおしまを抱いていた。最初の頃は恥ずかしがっていたおしまも、慣れるに従って大胆になり、夜中に藤吉郎の部屋に忍んで来ては抱き着く始末だった。

「おい、おめえ、おしまとうまくいってるらしいじゃねえか」と弥助は弓の稽古をしながらニヤニヤした。

「そんなんじゃないですよ」と藤吉郎は照れた。

「おしまのおっぱいはでっけえそうじゃの。毎晩、しゃぶってるのか」

「そんな‥‥‥」

「うらやましいのう。おしまの奴、まだガキだと思ってたら、最近、やけに色っぽくなりやがった」

「そんな事ないでしょ、変わりませんよ」

「いや、変わった。歩き方から目付きまで、すっかり色っぽくなった。なあ、猿、おめえは女子(オナゴ)を口説くのがうめえのう」

「そんな事ないですよ」

「いや。おめえは女子の心を捕らえるのがうめえ。おすわ様やおゆう様もおめえには気を許してる所がある」

「そんな事はありません。二人は俺の事を使用人だと思って使ってるだけです」

「いや、そうじゃねえ。使用人なら、おめえの他にもいくらもいる。それなのに、おめえを名指しするのはどういうわけじゃ」

「俺が何でも言う事を聞くからでしょ」

「いや、それだけじゃねえ。わしはこの前、おすわ様がおめえと楽しそうに話をしてる所を見たぞ」

「えっ」

「おすわ様は楽しそうに笑っていた」と弥助は真面目な顔をして言った。

「ただ、世間話をしていただけですよ」そう言いながら、藤吉郎は弥助の顔を覗き込み、「あの、もしかしたら弥助様はおすわ様の事を」と聞いた。

「わしだって男じゃ。おすわ様のような女子を好きになって悪いか」

「いいえ、とんでもございません」

「だがの、わしは駄目なんじゃ。おすわ様の前に出ると何も言えんのじゃ。それに、おすわ様はの、どうやら新七郎が好きらしいんじゃ。奴は背も高えしカッコいいからな」

「新七郎様ですか‥‥‥」

「まったく、おめえが羨ましいわ」

「あの、弥助様は男まさりの女子が好きなんですか」

「はあ? わしはおすわ様が男まさりだから、惚れたんじゃねえわ。馬鹿たれが」と弥助は言ったが、藤吉郎は姉の婿(ムコ)に弥助なら丁度いいのではないかと思った。

 その年の三月、備後守の葬儀が那古野城下の万松寺にて行なわれた。葬儀の席で喪主の上総介が例のかぶき姿で現れ、父の棺桶めがけて抹香(マッコウ)を投げ付けた事が話題となった。藤吉郎はその事を弥助から聞かされた。

「やはりな」と弥助はしたり顔で言った。「備後守は一年以上も前に死んでいたんじゃ。上総介は空っぽの棺桶に向かって抹香を投げつけたんじゃよ。あんな茶番に付き合っちゃいられねえとな。とにかく、備後守が死んだ事は公表された。また、戦が始まるぞ」

 藤吉郎は呆然となって右手に持った矢を見つめていた。

「残念だったのう。せっかく、仇を討つと張り切ってたのにのう‥‥‥仕方ねえから伜の上総介でも狙うか」

「上総介‥‥‥小六様は上総介を狙ってるんですか」

 弥助は首を振った。「何もしなくても、上総介は自然に自滅するじゃろうとの事じゃ。お頭はな、備後守に奪われた蜂須賀の地を取り戻そうと考えておいでじゃ」

「上総介は自滅するんですか」

「ああ。あのうつけ殿は家中の評判が悪い。備後守は上総介に家督を譲ったが、重臣たちの中には上総介の弟の勘十郎を押す者も多い。そのうち、家督争いが始まるじゃろう。それだけじゃなく、清須の大和守も岩倉の伊勢守も備後守に押さえられていた。備後守がいなくなれば二人も動き出す。今の上総介の回りは敵だらけなんじゃよ。あのうつけ殿の命もそう長くはあるまい」

 生きがいを失った藤吉郎は小六の屋敷に帰る事なく、当てもなくさまよい歩いた。

 仇の備後守はもういない‥‥‥一度も会う事もなく、仇は勝手に病死してしまった。備後守を討つために鉄砲を習うつもりだったが、もう、どうでもよかった。

 目標を失い、これから、どうしたらいいのか、藤吉郎にはわからなかった。
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